キノコの木

特に何かに特化した人間ではないのでその時書けることを少しずつ書いていきます。

職歴の話(1社目)

今回は私が高校を卒業して最初に就職した会社の話を書いていきます。

その会社に入るまでの経緯

まず、いわゆる「就職氷河期」の末期の方です。(就職氷河期の時期も諸説ありですが)

私は当時特に何も考えずに「給料」と「休み」で会社を選んだと思います。

ただ、みんな考えることは同じなので当然待遇のいい会社は倍率も高くなり、第一希望は不合格でした。

周りがどんどん内定をもらう横で私は2つ目に受ける会社を選ばなければならず、でも正直、

周りがどんどん取っていって残った会社はもうそんなに希望通りが残ってないんですよね。

結局企業説明会みたいなのに行って、なんとなくその場で「ここなら合格取れそうだな」っていう会社で

半ば妥協する形でそこの試験を受け、合格を貰いました。

会社の概要

私が入社した時、その会社は社員6名ほど、設立3年目ぐらいの駆け出しでした。

仕事の内容としては「複合機の点検・修理」が主でした。

よく複合機って何?」と聞かれるんですが、会社の事務所やコンビニにあるコピー機の事です。

実際にはコピーだけでなくFAXやスキャン、パソコンからのプリント等の機能もまかなうので「複合機」と呼んでいました。

基本的には何カ月かサイクルで定期点検を契約されているお客さんが多いのでそこを一日8件程回ります。

回っている途中でどこかのお客さんから「コピーしたら黒いスジが写るんだけど」って感じで連絡があると

そちらに伺って修理する、といった感じの1日でした。

(ちなみに黒いスジなら大抵読み取り部のホコリか汚れなので拭けば直ります。)

当時の処遇

休日:土日祝  

給料:全部込み一律14万 (そういえば今書いていて気付いたけど、時間外ついてないわ!)

よく考えたら厚生年金も健康保険も所得税も引かれてなかったな。

なんか紙切れに14万って書いてあって14万手渡しで貰ってたと思います。  無知って怖いですね。

退職の経緯

結論からするとこの会社、「4カ月」で辞めました。

ただ、仕事がキツイとか人間関係が嫌だとかじゃなかったんです。

私が暮らす地方では(全国そうかも)高校3年で進路が決まっている人は3学期になると、

車の免許を取りに行くのが普通です。(進学の人は大学の夏休みが多いですね)

ほぼ全世帯車所有は当たり前、むしろ普通車と軽自動車の2台持ちが普通で、車乗れないと生活が大変な

地方ですので私自身も例に漏れず免許を取りに自動車学校へ入校しました。

そこで出会ってしまったんです!「これをどうしてもやりたい!」って思えるお仕事に。

そうなんです「自動車学校の先生になりたい!」って、就職先決まってるのに思ってしまったんです。

ただこの「自動車学校の先生(正確には教習指導員といいます)」の仕事、21歳以上が条件なんですよ。

今すぐになれるわけではないけれど、「どうせ21歳までには辞めるし」っていう気持ちになってしまいまして

当時の会社には申し訳ないですが、入社当初から私のモチベーションは最底辺から上がりませんでした。

そして「いつか辞めるので今もう辞めます」とは当然言えず、2カ月が経過。

この時会社は拡大路線に舵を切っており、隣の県の大都市圏まで仕事の範囲を広げる計画に入っていました。

そして不幸にも(?)私と先輩がまずそちらの営業所担当に決まってしまったんです。

私としては「いつか辞めるつもりの人間がそんな拡大の先陣を任されていいのか」とめっちゃ悩み、

先輩にも相談した結果、ちゃんと社長に話しなという事になり、社長と話す運びとなりました。

結果としては、めっちゃ怒り&落胆していました。 

そりゃあ「これから」って時に「辞めます」ならね・・。

結果、人員の配置や増員は考えるから、一旦あと2カ月いてくれないかということになって、

そこから2カ月続けたのでこの会社は「4カ月」いたことになります。

ちなみに後にも先にも電車通勤をしたのはこの時が最後です。

私、「行けない状況」になるとトイレに行きたくなるタイプなので、電車通勤はこりごりです笑

この会社で得たこと

・・・。無いですね・・・。しいて言えば今でも当時の先輩からたまに年賀状が来るぐらいですかね。

「たまに」ってのが謎ですよね笑 来たり来なかったり・・・。

 

さて、1社目のお話しでした。思い出しながら書いていると少し懐かしい気分になりました。もう16年前です。

次はその後の「フリーター時代」を書いていこうと思います。